三の章  春待ち雀
E (お侍 extra)
 



      
六 花 (りっか・雪の結晶のこと。冬の季語)



 背中にかかるほどまで伸ばしっ放しの蓬髪や、さりげない表情へ野性味とそれから年輪のようなものを与えもする黒々とした顎髭が似合う、彫の深い面差しに。何事かに達観しての重厚な落ち着きを得、静謐な佇まいを滲ませている壮年という、いかにも物静かに納まり返っている姿とは裏腹。それだとて彼には似合わぬ荒っぽいこと、俵か何かでも担ぎ上げるかの如く、金髪痩躯なお仲間の双刀使い殿をひょいと肩の上へ抱え上げ。彼らの逗留先でもある古農家の詰め所から、飛び出すように出発し。達者な足取りでたかたか軽快に、駆け出し駆け続けて幾刻か。
「島田、島田っ。」
 一応は人目の少ない古廟へと続く、椿の木立に挟まれた旧の村道を進んでいた勘兵衛の、自分には逆さまの目の前になっている広い背中を、侭にならぬ右手を庇いつつも何度か叩いて注意を促し、
「もう降ろせっ。」
 荷物扱いになっていた久蔵が、そんな声をかけたれば、
「おお、済まぬ。」
 あんまり軽いのでうっかり忘れておったなどと、減らず口を利きながら。それでもすぐさま立ち止まると、靴を足元へ揃えてやっての、片腕だけで抱え直して。自身の胸元へと押し付けるようにして添わせつつとはいえ、まずは中空にその身を支えてやり、ブーツへと両の足を差し入れるのを見届けてやる面倒見のよさ。いくら久蔵が細身で軽いとはいえ、それなり強かな筋肉もついた身の成年男子。それを片腕でこの扱いだ、
“…底の知れぬ奴。”
 思いはしたが、まま今更な話かなとも同時に思う。常人のレベルを越えた体力の持ち主なのは、野伏せりたちや 都警護の雷電の大群相手という数々の死闘を共にして来ていての、既に承知の事実だったし、それに。人のことは言えないことながら、あの大戦下で斬艦刀乗りだった精鋭ならば、戦いの勘や刀さばき云々以前の素養として、高層で高速飛行する戦闘機の装甲の上に、何時間でも揺るぎなく仁王立ち出来るだけの、それはそれは破格な基礎体力も持ち合わせているはずで。そこに加えて、七郎次が不在だったこの5日ほど、久蔵の傍らにいて何くれとなくの世話を焼いてくれていたその手際が幾許か、既に身についてしまってもいたのだろう。それはそれとして、
「大事ないか?」
 七郎次が案じたその通り、久蔵はまだ、その右腕の前腕を、手首を動かさぬようにということか、石膏ギプスにてぎゅうと固定している身。今の逃走劇の弾みで傷めてはおらぬかと、足元確保が整ったのでと手こそ離しはしたものの、間近になったお顔を覗き込みつつの案ずるようなお声をかけてくる勘兵衛だったので、
「…。」
 穏やかな眸のまま ふりふりと、かぶりを振っての“大事ない”とのお返事を示せば、ならば良かったと破顔する屈託のなさよ。凶悪巨大な敵を見据えての、一大決戦を前にしていた正念場。どちらかと言えば絶対不利な状況下にあり、真剣真摯、沈痛な面持ちばかり見せていた頃は。当然といや当然のことながら、笑ってもほんのお愛想、口許だけという形だけのそれであったので気がつかなかったが。この壮年、心からの安堵を込めた笑い方をすると、
「〜〜〜。/////////
 どうしてだろうか、その精悍で男臭いお顔に、こちらが照れ臭くなるほど柔らかで奥深い表情を滲ませて見せるので、
“…こんな不意打ちはないだろう。”
 それこそ、お門違いの八つ当たり。人を不用意にどぎまぎさせるとは けしからん奴だと、胸の裡
(うち)にてついついぶうたれてしまう、うら若き剣豪殿だったりする今日この頃。それはそれとして、
「だが。」
「んん?」
 久蔵にはそんなことよりも重大で気になることがあるらしく。ベルトのような装具で首から吊られた腕を撫でつつ、ぽつりと呟いたのが、

  「シチに心配させた。」

 体は痛まぬが 気が重いと、そうとでも言いたいのか。浮かぬ顔…だと見分けがつくのは恐らく勘兵衛と七郎次のみだろうが、日頃の無表情に輪をかけての沈んだ面持ちで、意気消沈という態を見せる久蔵であり。それへは、
「うむ。少々迂闊であったかの。」
 さすがに勘兵衛だとて、反省はしているらしい模様。相手の上へではなく自身の中へと、何をか浚うような眼差しになると。少しくたびれた白い手套を嵌めた手で、顎へとたくわえたお髭を撫でながらの感慨深そうに言ったのが。
「何せ昔から、手を煩わせてばかりの“カミカゼ上司”であったからの。」
「…。」
 その辺りに関しては、久蔵も七郎次本人から多少は聞いていた。何しろご自身も前線へ飛び出してって刀を振るうクチの、斬戦刀部隊の司令官。戦局を見据えての即断即決、言葉少なに指示を出したそのまま、前進あるのみとすぐさま行動に移ってしまわれる。不言実行、黙って俺について来いという、ついて行く側の下士官にとっては気の休まる時のない、それは大変な“斬り込み隊長”殿だったそうであり。戦さには知力・体力とそれから、司令官の優れた解析力による即決の英断も不可欠だとは言え、その司令官が飛び抜けた能力者だったら、しかもそうだという自覚がなかったら? あまりに切り替えの速すぎる作戦行動は、どれほど優れた奇策でも、後に続く者らが凡人であった場合、混乱しか与えず成就もすまい。そこを、
「あやつは、自分への負担が多大にかかってもと、無理をしてでも状況把握に必要な時間を算段してやりの、そのくせ、不平不満は自分が傲慢な悪者に回ることで一手に引き取りのと、どんな手段でも迷わず講じて、下士官たちの足並みを揃えさせておっての。」
 上手にいなして統制・制御し、その結果、隊長殿の斬新な戦法を現実のものとして戦場にて展開させて来た一番の功労者。しかもしかも、大戦の終盤において勘兵衛が“負け戦の大将”と言われ通したのは、相打ちにて相手を殲滅させるくらいなら、勝ちより同胞らの命を優先して、はやばやと戦局離脱の作戦展開を取ることが多かったからであり、そんな戦術展開が可能だったのもまた、副官だった七郎次の力によるところが大きくて。
「そんな調子で、わざわざ言い置かずとも、向こうで拾ってくれおったのでな。」
 それが嵩じてこちらをずぼらにさせたのだ…というのは、あまりに身勝手なお言いようだと判っているので、口にまではしなかったけれど。

 「七郎次も五郎兵衛も、己の周り、他者へと目を配れる性分をしておるからの。」

 そんな人性についつい甘えてしもうたと、自分へのやれやれという苦笑をこぼした壮年殿へ、
「お主だとて。」
 しっかりと目配りはしておろうよと言いたげに、久蔵がかけた言葉は決して生半可な追従なぞではなかった。心にもないことや思ってもないことを口に出来るほど、調子の良い青年ではないことくらい、それこそ勘兵衛とて重々承知ではあったが、それでも。
「戦さに関わる時だけの話よ。」
 つまりは計算高いだけの話であり。それ以外の平生では、ただの不調法者よと苦笑を更に濃くしただけの彼であり。長老殿と逢うと言っていた刻限を思い出したか、歩みを少し、早めた彼の後へと続きながら、
「だが…。」
 まだ納得が行かぬのか、久蔵が彼には珍しくも食い下がって見せる。そろそろ見慣れた借り物の青い装束の彼は、その衣紋があの紅の長衣に比すれば清楚で大人しい型であることに加えて、背へあの双刀を背負っていないこともあって、日頃の何割か増しに幼くも見えて。

 「ただ狡猾なだけの軍師に、人は集まらん。」

 人を駒や素材としてしか見ないような者に、こうまでの多岐に渡った様々な人々が慕うように集まるものだろか。尋深き人物であるからこその結果ではないのか? それこそ、あの七郎次や五郎兵衛がそんな人性を見抜けぬとも思えない。だが、
「そうかな。」
 勘兵衛は振り向きもしないまま、その足を同じ歩調で運び続けており。
「例えばシチは、儂があまりにあちこち抜け落ちておるからと、見かねてついて来てくれたのやも知れぬ。」
 そうと言ってから、ほんのかすかに。ちらと肩越し、こちらを向くよに顔を動かし、
「例えばお主はどうだ? 狡猾な奴よと、何くそとの反発あっての関心が沸いたのであろう? それで追って来たのが発端ではないのか?」
 まるでそうなるように挑発したと言いたげな勘兵衛であり、その肩が蓬髪の下で くくっと震えたのは声を出さずに笑ったからか。
「…。」
 言われてみれば確かにそうでもあったけれど、

 “…それだけではない。”

 こちらが久々の本気でかかったその上、全身全霊叩き起こしてでなければ対処し切れなかったほどの練達だのに。臨機応変の利く、よくよく練られた刀さばきと同じほど、口ばかりが達者な調子のいい奴かと思っていたら、とんでもない、全くの逆であり。何を持って来ても贖えぬ人斬りの罪や業
(ごう)などを、割り切って忘れるということをしないし知らない。狡猾なのは表面だけで、ただの不器用な正直者でしかないと気づくまで、そんなに時間はかからなくって。この自分の倍以上は戦さ場に立っていたのだろうその間、自身がその手で屠(ほふ)った魂を全て、その身へ背負ったままでいる大馬鹿者。人斬りの業を理解しつつも、実直が過ぎて。痛みや悪夢を麻痺させる術を知らず選ばず、歩けるだけのどこまでも、そのまま背負って歩き続けようとしている、そんな馬鹿だと知っている。しかも、それが今のところは可能なままの、心胆総身、双方ともに図太くも強い奴だから始末に負えない。そうやって死びとにばかり憑かれている身に幸いは寄らぬと、近づく者は皆、突き放して来た頑迷な奴でもあって。そうと気づいての、それからだ。

  ――― 自分の中に、恐らくは生まれて初めての戸惑いが生まれたのは。

 切り結びのその刹那の、一瞬の駆け引きや巧みな攻防、それらへ的確に対処出来る身であることへの、文字通り命を懸けた高揚感のみに、生きている証しを求めていた自分とは、対局にいるほど掛け離れた存在。斬り結びの約束を待つことで明日を数えることを思い出し、そして。そんな身となってから、彼へと向けていた自分の感情や把握が少しずつ変化をし始めた。彫の深い面差しに浮かぶは、野趣と生気のあふれる荒々しさと、それから…残忍な人斬りの冷酷な熱と。そこまでは理解も及んだし、いつか自分がねじ伏せてやると思えば、その屈強強靭さにも総身が喜悦の興奮に震えたものだったのが。

  『久蔵っ!』

 戦いの最中、何度 名を呼ばれたことだろうか。背中を預け合い、姿は見えずとも気配で、その無事を呼吸を感じ取りながら。向背は全く気にせず、遺憾なく刃を振るい続けたなどとは初めての戦い方ではなかったか。頑丈で暖かな懐ろ、仄かに渋みのある精悍な匂い。静かな眼差し、武骨な重い手。案外と線の細い横顔に、低められると深い響きのする独特なお声。損ばかりを拾う不器用さまでもが愛惜しく、それらを喪いたくはないと切に思うようになり。自分以外の誰にも斬らせはせぬと、勝手に死ぬなとムキになり。気がつけば…離れ難くなっていた。そんな勘兵衛が、だのにどうしてこうも自身を貶めるのか。

 「狡猾で薄情で、計算高くて。使えるものは何でも使う。
  そんな小狡いだけの、ただの侍だと言うのなら。」

  「…。」

 「どうして、慕う者を皆、撥ね退けるのだ。」

  「…。」

 「利用すればいいだろう、踏み台にでもすればいいだろうにどうしてだ。」

  「…。」

 「自分がこの上、生きている者までも不幸にするのが怖いのか?」

 歩きながらの一方的な問答は、そうではなかろうと久蔵が続けんとしたその矛先を奪うようにして、途中から語る側が入れ替わり、

  「…買いかぶってくれるな。」

 「…。」

  「何もかもが一人の人間の上に全て揃うておるはずがない。
   何にかへ勝
(まさ)っておれば、別の何かが足らぬもの。
   今日まで無事に生きながらえた分だけ、
   儂は強運とともに誰ぞの運を食らう魔性をも身につけ続けておるのだからの。」

 「…。」

  「お主が言うように、生きている者をまでも不幸にするのが怖いのかも知れぬ。」

 薄い雲が出ていての、少し陰っている空の下。こちらへと向けられたままの、白い衣紋にくるまれた肩や背中が、いかにもつれない冷たさや素っ気なさをば示しており。振り返りもしなければ、立ち止まりもしない、そんな態度がそのままに、彼の心情を表しているかにも思えたけれど。

  「それでもっ。」

 ざくざくと、足を速めての追いついて。無事だった左手を延ばすと、つれないその肩を捕まえる久蔵で。練達の侍なくせに、こんなにも簡単に捕まりおってと…それだけ気を許されていることへ胸の奥を擽られつつも。強引に引き留めるとこちらを向かせ、言い放つ。
「俺は、離れぬからな。」
「…約定があるからか。」
 硬い表情のまま、真っ直ぐな眸で見据えてのすかさずに。いかにも棘のある言いようなんかされても、今更堪
(こた)えはしないと聞き流し、
「それもあるが。それだけではない。」
「?」
 まだ花がつくには少し早い頃合いの、つややかな葉の生い茂る椿の衝立を背に負うて。立ち止まったそのまま、向かい合ってた二人へと。昼下がりの秋の陽に、薄くかかっていた雲間が途切れ、陽光がさっと降り落ちたその瞬間、

 「…っ。」

 手狭な小道の中ほどだけを目がけ、まるでピンスポットのような光が落ちて来て。久蔵の髪がなおの柔らかな色みを帯び、けぶるように明るさを増した。赤い眸がますますのこと透き通り、質のいい玻璃玉のように妖冶な光を宿してそのまま、1つ2つと瞬くと、

  「お主も、この手の六花も全部、俺のものだと言っただろうが。」

 もう仕事はしまいかと確かめたあの時に、俺のものだとしがみついた。ずっと待たされた見返りに、お主全部を貰い受けたと。そうと言ったはずだと。手套をしたままの手をしゃにむに掴み取りながら、強情そうなお顔が言い放った、その途端。

 「…。」

 答えはなかったがその代わり。先程、久蔵へ大事ないかと訊いた折に見せたあの、心からの安堵を込めた笑い方を。

 “…あ。”

 精悍で男臭いお顔に、こちらが照れ臭くなるほど柔らかで奥深い表情を滲ませて見せる、あの笑い方をした勘兵衛であり。そんな風に籠絡できるとの確信があってのことではなかったか、

 「〜〜〜。/////////

 さっきまでの威勢はどこへやら、妙に赤くなってしまったうら若き剣豪殿へ、
「? どうした?」
「知らぬっ。////////
 訊いてもムキになるばかりながら、されど…真っ赤になりつつも手は離さずにいて。手套越し、あの指環の感触もする大きないかつい手を捕まえたままな彼を、すぐ間近の胸元へと見下ろし、

 “…そうさな。儂は捕まってしまったのだった。”

 数々の修羅場をくぐり抜け、雷電の撃った大型砲弾を間近にて被弾したという最大の窮地さえ乗り越えての生還を果たした彼の姿を見て、どれほどのこと、この身が安堵を覚え、胸底を暖めたことか。そして、あの途轍もない荒療治の後、もう仕事はしまいかと確かめるように久蔵が訊いたあの時に。俺のものだとしがみつかれて…その頼りない、力ない手での掴まりようへ、どれほどの切なさにて胸底が痛んだことか。
「…。」
 もう観念なさいましと、七郎次が微笑ったのを思い出す。彼の側だとて、人への甘え方や何やへまだまだ慣れがないくせに。それでも俺のなんだからと、かあいらしい固執を見せる久蔵へ。

 “本来ならば花が胡蝶を捕まえるのだがな。”

 せめてもの強がりな言いようを胸の裡にて零しつつ。愛しい若侍殿への観念とやら、固めることにした壮年殿であったのだった。






            ◇



 店の名に冠されてもいる蛍が、もう秋に入っていた当時のあの頃も静かに庭を飛び交っていたのは。虹雅渓というこの街が栄えていた反動、蒸気機関や蓄電筒によって稼働する諸々などなどから出る熱が、まるで活気づいた街の体温のように放射されていて、いつまでも暖かだったせいだとか。しかも、禁足地ともつながっていたあの地下の、伏流水という清い水源も間近にあったので、涼やかで妖しくもあった蛍火がそれは盛んに飛び交っていたのだが。さすがに…桜が終わったばかりという頃合いではまだ時期が早すぎるか、ぼんぼりや有明、燈明など、人工の明かりばかりが里には灯る。煌々と灯されている燭台やら燈台やらを幾つも並べているのだろう障子越しの明かりが、座敷を丸ごと大きな行灯にしているかのようで。心浮き立つ軽やかな音曲を奏でるは、芸妓たちがかき鳴らす三味線の絃音。それへと絡むは、幇間のものだろか鍛えられたるなめらかな美声で。なかなか小粋な独独逸を語っていたものが、何が可笑しくてかどっと沸いたる客たちの嬌声に、その末を押し流されてしまうのがちょいと惜しいとの苦笑を一つ。どこか間近い座敷の宴の喧噪だろか、それでも、同じ敷地の中だとは思えぬほど遠く遠くからのそれのように聞こえるのは、狭間に設けられた庭の立ち木や何やの工夫ある配置のお陰なのだろう。

 「そういや、あの頃合いあたりから、妙に結託なすってましたよね、お二人で。」

 この離れにほど近い母屋の棟へと設けられ、家人以外では特別な客のみへ供している瀟洒なこしらえの湯殿から。存分に温もってのほこほこと、茹だったお顔で戻って来たは。いづれが春蘭秋菊か。片やは嫋やかさに落ち着きが出ての艶っぽく、もう片やは相変わらずの物知らずな無垢さから。そろそろ男としても落ち着く年頃だろに、まだまだ十分綺麗どころで通る美丈夫二人。同じような淡色だが質は異なる金の髪を、仲睦まじく乾かし合っている態を、何とも贅沢な眼福よと、晩酌の肴にして眺めていた壮年殿へ、不意にお顔を向けてのそんな言いようをした古女房。湯殿で見せてもらった次男坊の右腕は、あれほどの深手だった傷も薄れての本当にもうすっかりと。動作へも膂力の発揮へも、問題なくの十分なめらかに機能しており。どれほど大事にしての丹念に、こつこつとした治療に専念して来たかを偲ばせたものの。
「まだギプスの世話になっていながら、歩き回れるようになった途端、無茶ばっかり始めて下さって。」
 彼には怪我そのもの以上に苦痛であったろう、時を待つしかないという加療により、歯痒いばかりの焦燥に心を擦り減らしていた久蔵が。それを経ての末、すっかりお元気になって下さったのは我が身の幸いのように嬉しかったことながら。第一段階を終えたばかりの、まだ一応は右腕を首から吊っていたにもかかわらず。ちょーっと眸を離すと、哨戒先でまだ早かろう 刀の手合わせを始めていたり、片手は封じ合ってという変則の組み手の習練を構えていたり。自分が虹雅渓まで出掛けていたその隙に、極端から極端へと走り過ぎという感のあるあれやこれやを、勘兵衛を相手にこなしておったようだという事実が次々に明らかになって。
「何だか、いきなり腕白二人を抱えた母親になったような気分を味あわせてもらえましたよ。」
 心配性なこちらが気を揉んで投げた叱咤を掻いくぐり、いかにも意を合わせてという鮮やかさでの見事な逐電を披露して下さったのが、あまりに楽しげだったのとはずんと対照的に。自分が居なかった間の彼らのそんな所業の数々を聞くにつけ、どれほどのこと胸を凍らす想いをしたことか。だっていうのに、あんなに飄々としていた彼らなのが…今なら理解も及ぶけれど、当時の自分には寛容に看過するなんて到底無理な相談だったこともまた明らかなこと。勘兵衛様が鷹揚だと、ついのこととて ならばとこちらは手綱とりとしての意識を強く働かせてしまう。大戦時に刷り込まれてしまったそんな呼吸が健在だったから…だというのが穿っており。

 “こちらばかりが、度を越した過保護を振り回してたみたいじゃあないですか。”

 今頃になってじんわりと胸底に滲んで来たのは“狡いなぁ”という甘酸っぱい感慨。仄かにしっとり感だけが残る、程よい乾きようへまで水気を拭えたふわふかな綿毛。そおと指を通して梳きながら、ついつい くすすと楽しそうに微笑ったおっ母様へ、
「…シチ?」
 向かい合ったまま、ひょこりと小首を傾げた当事者の片割れさん。もう覚えていないのか、それとも。七郎次の言いようが、怒っているのだか それとももしやして…楽しかったと懐かしんでいるのだか、よく判らなかったからだろう。あの頃合いというと、大人しくしている方が七郎次を安心させると判ってはいたが、一方で、やっとのこと身体を存分に動かしてもいいとのお墨付きを得ての大きな反動、全身のあちこちに消化されぬまま淀みかけていたバネやら余力やらを、しゃにむに発散させたくてしようがなくて。バレなきゃ良いかなとの気安くも、常人でも滅多にはやらぬこと、ひょひょいとこなしては体中の隈なく、ちゃんと勘は残っているかを確かめていた次男坊であり。完璧に隠し果
(おお)せてのバレていなけりゃ、若しくは危なげなくこなせていれば、まだ何とか弁明の余地もあったろが、
「…梢渡り、落ちたのまで知っていた。」
 これもおっ母様にしてみりゃいきなりの無謀。並木木立ちの天蓋近く、細い梢に身を浮かべ、ひょいひょいと渡ってく…なぞという、とんでもないことを病み上がりの身でいきなり手掛け、しかもうっかりしていて落ちかけたことをまで。七郎次が虹雅渓へ出掛けたばかりの初日の出来事だったのに、ちゃんと知ってて叱られたと。こんな短い一言へと凝縮して言う方も言う方なら、
「おや。覚えてらしたんですか?」
 あれは本当、お話聞いただけで十分に肝を冷やしましたようと、ちゃ〜んと判る方も判る方。ちょっぴり気落ちしている次男坊のお顔、白いおでこへと、こちらからもおでこをこつんこと合わせてやって、
「まま、あの後はそれなりに自重して下さったから。」
 青い瞳を細めての、にこりと微笑ってお顔を離すと。伏し目がちになり、真白い右手へ、小瓶から椿油をほんの数滴。垂らしてくしゃりと指へ広げたそのまま、次男坊の髪を梳いてやっての馴染ませてゆく手際も慣れたもの。そして、
「…。(是)」
 だからの後を、まだおっ母様が何も言わぬうちから久蔵が頷いたのは。薪割りや水汲みなど、ちゃんと七郎次からの許可を取ったことしかやらなくなったから。だから…お話を持って来られるとそのたびに、ちっとはハラハラもしたけれど、結果としては怒ってはいませんでしたよと。そんな言いようが省略されてること、ちゃんと読み取ったからに他ならず。大好きなおっ母様の意だからと、敏感に酌めるところは相変わらず健在な模様。

 「〜〜〜vv ////////

 丁寧に丁寧に髪を梳かれているのを、いい子いい子と撫ぜてもらっているかのように受け止めて。それはうっとり陶然と目許を細めている、うなじも肩もそれはほっそりとした小袖姿のこの大人しげな青年が。同じその赤い眸、鋭く尖らせての凍るような眼差しで睨み据え。天をも貫く紅蜘蛛の巨躯、赤い翼の鷲の飛翔のごとく、軽々と駆け上がっては得物の双刀でずんばらりと、瞬殺で粉砕して来たものを、ついの一昨日にも見たばかりな勘兵衛様としては、

 “あれとこれとが同一人物とはの。”

 一体どういう切り替えが働くものやら。ちょいと窘められてはべしょべしょと眉が下がりの嫌わないでとすがりもし、いい子だと撫ぜられれば含羞みに眸が潤んでの頬を染め…と。あまりの可愛らしい態度の数々、先日景気よくもぶった切られた連中には、全くの別人にしか見えぬことだろうと思ってのこと。勘兵衛が何ともしょっぱそうに苦笑をし、そして…そんな御主の言葉少なな笑みをこそりと見やって、

 “何か言うのを億劫がられるのは相変わらずですよね。”

 七郎次や五郎兵衛殿のように、即妙軽妙、気の利いた物言いを思いつける性分ではないからと、そんな言い訳を聞いたこともあったれど。何の、詭弁方便のまくし立てなら、口上上手な五郎兵衛殿に負けないほどの芸達者。そんな彼であるにもかかわらず、時に説明や弁明を端折ってのこと、ふっと口を噤んでしまうことがたんとあり、

 “あれにしたって…。”

 動けるようになった久蔵を、はやばやと連れ出したのみならず、少々危険なことながら、その身の軽さを晒させて制しはしなかったのも。本人の好きにさせたのともう一つ。そんな姿を晒すことにて、百の言葉よりも明らかな形で、村人たちに彼の快癒をさりげなくも示して回れたからに他ならず。
“戦略戦術以外にはとんと気を回せぬなどと仰せになりながら。仰々しい言葉など並べずとも、そういう仕儀をそぉっとこなせるお人でしたものね。”
 端から端までがんじがらめにはせず、危なっかしくとも相手の意を尊重しての伸び伸びと。正しい放任主義というものを、自然体でこなせる御主様であり。

  “…だから。”

 平八への対処に関しては、静観するという立場を貫かれた彼でもあって。当時は不審を感じたものの、後になって平八当人から聞かされたのが、
『勘兵衛殿にだけは、聞いていただいておりましたから。』
 いよいよ都へと挑むその前に。彼が抱えていた重荷について、既に見抜いておられたそれを自分からも告げていたから、それで。
『御存知であったればこそ、忘れてしまえと安直には言えず。それで、ただ黙って見守っていて下さったのだと思います。』
 ほらやっぱり。打つ手がなかった訳ではなくて、理解していた上でのじっと、急かしもしないが放り出しもしないで、ただただ見守っていた勘兵衛であり。
『吐き出したくなったなら、いつでも喚きに来よと。』
『…おや。』
 頑なだった平八には、内面を知っているお人がいるのだという格好で、何かしらの息がつける支えにはなっていたに違いなく。

  “狡いですよね、ホント。”

 いわゆる最後の砦のつもりでいたのであって、下手すりゃ“よし判った、一緒に冥府まで行ってやる”くらいの覚悟もお在りだったかも知れぬと思や。狡いというのも微妙にお門違いな言いようなのかもしれないものの。そうとは知らなかった自分や五郎兵衛が、どれほどの心痛にぎりぎりしていたかも見ていたくせにと思えば…やはり、

  “…こんの おタヌキ勘兵衛様が。”

 ちょっぴり斜
(ハス)に構えての、このくらいは言っても罰は当たるまいと。それでも心の中でだけと留め置く、謙虚な古女房だったりするのである。


  ――― あ、そうそう。先程、ヘイさんから電信で、
       新しい野盗退治の依頼の話を聞きました。
       資料はのちほど送って来るそうですよ?

       面白がっておらぬか、お主ら。

       何の話ですか?

       何とかいう読み物へ原稿を寄せておるのは、
       もしかせずとも五郎兵衛だろうが。

       さて? アタシには何のことやら…♪











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  *平八さんの心の救済について、勘兵衛様は傍観の構え。
   本人も言ってますが、そうそう何でも一人がこなせるものじゃあない。
   物事には適不適というものがありますからね。
   それに、勘兵衛様が手を出したなら、
   どんなに丸く収まったとしても、
   何か…あとあと不誠実な作為への引っ掛かりが残りそうな気がするのは、
   筆者の気のせいでしょうかしら?
(こらこら)

  *ところで、前半部分で久蔵さんに
   “背中を預け合って戦った”などと語らせておりますが、
   すいません、それって小説版でのお話でした。
   いやもう、神無村大決戦の後、都へ向かう段は、
   是非とも小説版での流れでのリメイクをお願いしたくvv
   (ワ○ピースの“エピソード・オブ・アラバスタ”みたいにvv)
   あんな後出しはナシでげすよぉ〜〜〜vv

めーるふぉーむvv めるふぉ 置きましたvv

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